-- Lost Legends * 00 -- さわさわと若葉がさざめく。春風をつつむ空気は優しい。湖畔近くの森は、春の日差しがふんだんに降り注いできらきらと輝いていた。 そこに向こうからざくざくと草を踏みしめる音。駆けながら現れた少年と少女はホグワーツの制服に身を包んでいた。木漏れ日の揺れる柔らかな草地まで駆け上り、少年はずっと引いていた少女の小さな白い手を離す。少女は上がった息に肩を上下させながら、ふくらはぎの丈まである学校指定の水色のワンピースと薄い色の金色の髪を手早く整えた。それからしっかり締めていた赤と金の縞模様のタイを少し緩めて大きく深呼吸をする。少年は近くの木にもたれてふわりと笑みを浮かべたまま少女の様子を眺めていた。 「ここまでくれば大丈夫かな」 「大丈夫って、アルバスのこと?」 やっと息をついた少女が、きょとんと訊ねる。そんな少女の様子に、少年は笑みを深めた。 「そう。今日こそ君の大事な兄さんに邪魔されるわけには行かないからね」 「邪魔って、だって、はいつも『アルバスは無二の親友だ』って言ってるじゃない」 目を丸くした少女に、少年は爽やかに声を立てて笑った。深緑色の少年の目の色は相変わらず優しい。 「いくら親友でも協力できることと出来ないことがあるんだってさ――、」 まじめな声色の呼びかけに、と呼ばれた少女は反射的に聞く姿勢となる。吸い込まれそうにまっすぐな緑の瞳に視線がとらわれた。 「君が好きだよ」 みるみるうちにのあかるい水色の瞳が大きく見開かれていった。ことは真剣な眼差しに再び笑みを戻す。 「そんなに大きく見開いて、目が落ちてしまっても知らないよ」 「そんな、そんなのに騙されるほど、私もう子供じゃないんだからね!」 何か言おうと口を開きかけて、白い頬を一瞬で桜色に染めて、結局はそう言ってむくれてみせた。はくすくす笑うだけで、少女がそっぽを向いても全く困った様子は見せない。 「そうだね、知ってる。会った頃は、僕がこう言ったら慌ててたのにね」 はちらりと少年を見た。年はたった二つしか離れていないというのに、は昔からそれよりずっと大人びて落ち着いてみえた。 前触れなくぱっと足を踏み出して、瞬く間に二人の間の距離をなくした。胸に縋り付くように両手でぎゅっとベストの生地を握って、とは違う色の、青と銀のネクタイを見つめながら言った。 「もう一度、言って」 さらりと風が二人を撫でて行った。背に下ろしたままのの淡い金髪が一束風にさらわれる。 「いいよ。何度でも。が好きだよ。僕と付き合って欲しい」 少女が顔を上げた。ほんのりと赤く色づいた顔で、潤んだ瞳を嬉しそうに細めた。 「もちろん、喜んで――」 まどろむ意識の中、ぼんやりと目を開けた。部屋は薄暗いが、分厚いカーテンの隙間から漏れ入ってくる光は明るい。しあわせな夢を見ていたのに、とは心の中で何に対してか分からない不満をつぶやいた。 「?」 呼ぶ声がした。年を経て老成した男性の声だった。 寝すぎたのかぎしぎしと重い体を動かして上体を起こし、声のしたほうに視線をめぐらせる。そこには、声の通り長い鳶色のひげを持ち半月形の眼鏡をかけた初老の魔法使いが立っていた。 「、目が覚めたかい?」 彼は優しくそう訊ねた。しかし、彼の様子はどこか悲しげで、は何故だかどきりとした。 その声に聞き覚えなんてない。その姿に見覚えだってない。けど、眼鏡の奥の瞳の色を知っていた。不思議な輝きをたたえた水色の、より少しだけ濃い色の、見慣れた色の瞳。は驚愕に目を見開いた。 「お、兄、ちゃん…?アルバス!?」 そうだよ、と老魔法使いは答えた。 自分で訊ねながらも半信半疑だったは返す言葉を失って口をつぐんだ。そう言われてさらによく見てみると、確かにその魔法使いは彼女の兄が何十年もの年を経て到達するであろう姿のように思えた。 しばしの沈黙の後、唐突にはこわばった笑みを浮かべた。 「分かった。いつもの冗談ね。何を使ったの?老け薬?さすがアルバスだわ。誰だってこんなに上手く老人みたいになれるわけじゃないものね!ほんとに吃驚したわ。だから、そろそろもとの姿に戻ったらどう?」 「」 「老け薬って材料に何を使うんだったかしら?駄目ね。昔から魔法薬学は苦手なのよ。卒業したらすっかり全部頭から抜け出てしまったみたい。竹の花とトケイツルクサの茎だったかしら?実だったような気もするけど…」 「」 不安を押し隠すようにまくし立てていたは、静かな声の呼びかけにやっと口を閉ざした。泣くのをこらえるかのように唇をかんで、魔法使いの穏やかでいながら悲しげな眼差しを、見返す。 「――…なに?」 「本当は、気づいているのだろう?」 「知らない。しらない知らないわ。私は何も知らない」 は小さな子供に戻ったように大きく首を振っていやいやとした。閉じた瞳からついにこぼれた涙がきらきらと飛び散った。 「今はもう1944年だ。、君が居なくなってから…いや、本当は眠っていたわけだが、もう――」 「嫌よ。私は知らない。知らないのよアルバス」 「何十年も経っているんだ」 そして二人とも黙り込んだ。開いていた窓から風が通り抜けてカーテンを揺らした。外は静かで、道に面していないのか人の話し声さえ届いてこない。さわさわと時折風に揺らされた木々の葉が枝から離れて舞い落ちた。木々の彩りから、今は秋なのだとは思う。 二人ともこの空間から立ち去ろうとはせず、しかし再び話そうともしなかった。 「は?」 静寂を破ったのはの方だった。 「アルバス、ねぇ、はどうしたの?」 気味が悪いほど静かな問いだった。まっすぐに視線を向けるから、アルバスはそっと視線を外す。少しの間のあと、意を決したかのように老魔法使いは再び重い口を開いた。 「は、もう、いない」 アルバスは痛ましげに目を伏せた。 「彼は、という名を捨てたんだ。、君との未来とともに…。私の親友で君の婚約者だった=という男は、…もう、居なくなってしまった」 ――あれはもう、ではない。 沈痛な面持ちで独り言のようにアルバスは呟いた。強い失望と悔恨の念がこらえきれず溢れたような呟きだった。 「居ないって、なに?あれってなに?なんなの!?ねえ、アルバス!!」 声は震えて、ひび割れていた。絶叫するように声を絞り出して、そして崩れ落ちるように俯いた。再び沈黙が落ちた。しかし、今度の沈黙は長くはなかった。アルバスがの座るベッドへともう一歩近づき、は静かに顔を上げた。涙にぬれた瞳は赤くなっていた。 「話そう。何もかもを…。私と、彼と、――君の話を」 ――そして私は長い話を聞いた。自ら進んで貧乏くじを引いて、過去も未来も自分の名前さえ捨てて闇へと落ちた、誰よりも優しい魔法使いの話を。 その魔法使いはもうとは呼ばれない。 人々は恐怖とともにその名を知る。 闇の魔法使い、グリンデルバルド―― |